2013.06.23 Sunday
紙を刻む。


傍目には、どう考えても資源をムダにしている風にしか見えないだろうけれど、これも我らにとっては大事なしごと。
うーむ、うーむと悩みながら、ざくざく紙を切りまくる。
あたらしいかたち、とはなんぞや。
ただいま、ニュウプロダクトの試作の試作中。
うまく出来たら、ぜったい可愛くなるはずだ!と信じて、
えんえん紙を刻み続ける。
ちなみに、信じてるのは頭ではなく、手。
自由にしてやると、手はどこまでも動いていく。
不自由なのはあたまのほうなのだなあと思ったりする。

紙は、ほんとうはさらの紙のままでじゅうぶん便利でウツクシイので、
余計なことをしないほうがいいのだが、
余計なことをしてしまうのが性というものか。
余計なことをしてしまうぶん、ちゃんといいものに変身させますんで
余計に紙を刻むのをもうすこし許して欲しい。


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2012.03.30 Friday
試作その1(フォルム デ ナギ)









堅いボール紙のフォルム デ ナギ(とよんでいる)。
うちの娘(なぎほ)のかたち。
寝てるときになんともよいかたちで気持ち良さそうに転がっているのでメモ、
そして紙で再現。
自分がモデルだとは思わず、彼女はこの人体パーツをもふもふと噛んでいましたけど。
こういうのは、マリオネットと呼ぶのだろうか。
糸で動くようにならんかな〜と試作ちゅう。
脈絡のない工作はたのしい。

自称発明家、みたいなひとがすきだと前も書いた気がしますが、いまもすきです。
(すごいハンバーガー自販機を自作するおじさんがいた)
ついでに、骨董市とか海外のマーケットなんかで見つけてしまうと
買わずにいられないのが、
日曜大工で誰かが自作したいびつな虫かごとか
工夫しすぎてむしろ使いづらくなったっぽいノートとか、
子どもがなにかを覚えるために手書きで書いたへんてこメモとか、
もともとの持ち主がどんなひとだったか想像の余地がありすぎる謎のシロモノ。
もののまつわるストーリー以前に「なんでこんなんつくってん」と
ツッコミたくなるものってたまりません。
いや、ツルっと美しいものだって、もちろん文句なくすきなのですけれどね。

フォルム デ ナギが、100年後の骨董市で、
同じようなへんてこすきの外国人とかに発掘されたら楽しいよな〜ぼわわーん
、、、とはさみで厚紙を切ってこんなもん作ってる母親は、
はたしてこの瞬間に何人くらいいるんだろ、と考えてみたりみなかったり。
全然ひまではないのに、ひまっぽい優雅さを味わえていいぞ、工作。






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2011.06.24 Friday
畑のうた
オットが、札幌郊外に住む親戚の厚意によって、10Rほどの畑を格安で借りた。
知識もないのに、やる気のみで。
10Rといったら初心者には、けっこう無謀な広さです。
しかも家族のひとりは妊婦な上に産んだら子育てでさらに忙しくなる予定、、、
どうすんだバカーと思って怯んでいましたが、
さらにやる気があって熱心な友人が参加してくれることになって、
親戚や義父の力も得て、あれよあれよと種も蒔かれ苗も植わり、
気づけば畑らしくなってきている模様。
雨が降ればじりじり心配し、晴れすぎても心配し、次はどうすんだ何があるんだ、
とまだ慣れぬことばかりだけれど、
「自分たちの畑」みたいな場所があるというのは、やっぱりいいです。

いきなり畑、、、の裏には、もちろん今回の地震、
そして原発事故によって思う事があまりに大きかった、というのがある。
子どもを授かったからこそリアルに感じること、考えること、
「たった今」だけでない遠い未来を見ることにも繋がっていったのかもしれない。

目に見えるかたちで小さな循環を築くための、いまできる小さな実験です。
いろんな人の力を借りて作られ始めたこの小さなコミュニティーは、
四季を通じてどのように変化していくのだろう。
何が出来て、何が出来ないのか。
はたして現代社会で、そして本業はデザイナーです、というような生き方や暮らしぶりの中で、自給自足できることがあるとしたらどこからどこまでなのか。
これは大きな問いで、何も畑とか食べ物に限った事ではなく、
自分たちは何が作れて何が作れないのかという、
それこそ本業にも関わってくる命題だと思ってます。
とまあ、考えている事はでっかくても、いきなりできることはやっぱりわずかなはずで、でもやらないよりはやってみる方がよい、という気持ちで見切り発車。

いまとこ農作業自体はオットと頼れる友人たちに任せきりで、
臨月妊婦の自分は口だけ出す、という非常に厚かましい状態なので、
早く畑仕事に参加できるようになればいいなあと刻々と更新されて行く畑の様子を写真で眺めては、収穫を夢見つつ野菜の長期保存について調べたりしています。
何かを作るとき、そしてそれを維持するとき、たくさんの知恵が必要なことに気づいて、でもそれを身につけられるとしたら、それはものすごく楽しくて豊かなことだなあと思う。

そういえば、ナントカ農園みたいな、なにか名前が欲しいな!
堅苦しくない、楽しい名前がいいなと思い、
「農園 モモンガ」はどうですか、と打診しているところ。
返事はまだない。だめだったのかしら。
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2011.03.15 Tuesday
祈る、考える、嘘をつかずにできることで。
自分たちを含め、家族、友人知人、いまのところ確認できている範囲で大きな事故に遭った人はおらず、すこしだけ、すこしだけほっとしております。dropも北海道、東京2ヶ所でそれぞれの場所で別々に過ごしてはおりますが、事故や怪我などなく双方無事に過ごせております。とくに、北海道に移ったことで周囲からご心配のお声を頂戴致しましたが、かえって北の地・私が過ごしている札幌は被害うすく、物資やライフライン面でも通常通りに近い状況です。

ここを長く見てくださっている方々、商品発送をしたことのあるお客様がた、みなさんは無事に過ごされているでしょうか?とにかくこれ以上の甚大な被害に遭う事のないよう、お祈りを申し上げます。

報道を見ていると何事も被らなかった者ですら本当に胸が潰れそうになりますが、だからこそ、生きてて、安全で、屋根がある場所で家族としっかり同じ場所で過ごせる幸運を噛み締めなくては、と思う。そして、その次には今出来ることはないか考えなくてはいけないな、と思う。

依然いろいろな情報が交錯しており、そして放射能汚染に対するあいまいで事なかれな情報に苛立ったり怖さを感じたりするけれど、思う事はといえば、まずは顔の見える人たちの安全を確認し無事を祈り続ける事、余裕のある者は物事を無理に動かそうとせず、エネルギーや力を本当に必要な地にまわすことなのだろうかなどと思う。
今いる場所からできること、可能な手助け、たとえばそれがボランティアだとか現地に出向く、
というような実務や知識が必要なことでないとしても、つくること、コミュニケーションをつなぐ事、、、つまり自分たちが普段から考えている事、使っている技術面から何かお手伝いができないものかとdropも離れた札幌、東京間でそれぞれに考え、模索し続けています。

こういうとき、楽しい気持ちになったり、前向きに何かを考えるための手だてを不謹慎だから、不幸なひともいるから、と遠ざけすぎて考えないのもどうかと我らは思っています。水や食料や医療の次に、誰かの心のよりどころになることを考えなくては。あたたかいものを目の前に差し出したい、できることで、嘘の無い何かを伝えたい、と思う。

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災害関連ざっくりいろいろ 01

■被災地じゃないのに買い占めはやめよう!
電気や暖房、ガソリンだけでなく食糧品や水、米を買い占めに走る光景が
被災地以外でも出て来ているようです。実際驚く程、身近でも見かけます。
とにかく普通に過ごせているのに、困っている人の分まで横取りするのはやめたい。恥ずかしい。やめましょう。店も開いているし、政府の備蓄だってあります。
あおられたり、あおったりは無駄だと思う。
被災地に余計な負担をかけるのをみんなでやめましょう!!

■避難所、給水所、炊き出し場所の情報
Google 避難所
給水、炊き出し場所一覧(コミュニティーによる情報)
炊き出し My マップ(コミュニティーによる情報)

■SAVE JAPAN!
http://savejapan.simone-inc.com/
→ネットや携帯が繋がる、、、という条件つきではありますが、連絡がとれないひとのお名前を入れるとネット上から情報を吸い上げ、知らせてくれるそうです。
ページ下にスクロールすると出てくる「人を探している」で名前を入力すると検索できるそう。安否確認の手段のひとつに!検索慣れしている若者は、お年寄りの代行をしてあげたりしてもいい気が。
災害に関するページへのリンクも豊富です。
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2010.03.18 Thursday
容器と抽象のあいだ


悩んだ末に「Between the container and abstract」と名付けた、
コラージュ箱シリーズがあります。
今回のスパイラル展示用として、ほそぼそと試作してきたもの。
容器と抽象のあいだにあるもの、使えるけど使わなくてもいいもの、
もしくはさほど使えないけど、使おうとすれば無限に使えるもの、ともいうような。

しかし、自分でつくっておきながらナンですが、
これを作っている間、ずっと掴みどころがなかった。
それがいいことなのか、わるいことなのかも正直わかりません。
でも、1つだけ頭においていたことは、
「わかりきった感じで、おしゃれにオチを付けないこと」もしくは、
「デザイナーがカッコイイ感じでつくりました風」に完結するまい、ということ。
自分の中だけのことなので、実際出来上がったものが、
どんな風に伝わるのかは知る由もないんですがね。

完成度や使い勝手を考え抜く作業は、紙モノのプロダクトを作る際に、
かなり意識して徹してきた部分なので、
逆に自分たちの手から1こ1こ生まれるものにまで、
その完璧さや効率を求めなくていいだろう、という気持ちがあったけれど、
作っているうちにどうしても「それらしくしなきゃ」みたいな意識が働いてしまい、
ずいぶんと悩みました。
作っているときは、どんどん手がうごいていって透明な気持ちになるのに、
ふと止まるといろんなことを考えてしまったりして。
なんだか小さな戦いの連続という感じだった。

というわけで、出品するものの中には妙にどろっとしたものや、
手が勝手に動いていった、自分の作品じゃないみたいなものなど、
いろいろ混じっています、
が、あえて両方を人の目にさらしてみようと思ってます。
ぜひ見に来てください。









2010.03.03 Wednesday
絶賛カッパンチュウ




スパイラルマーケットでの展示に向けて、チャレンジング企画第1弾。
ただいま連日活版体験中のdropです。

以前、プロダクト制作で岡山出張した際に、
現役の活版印刷機を見て触らせて頂いて以来、
自分でも活版モノを作りたいと思っていたのです。
さらにいうと、全くの活版初心者のくせにどうしても自分で刷ってみたい。
活版印刷独特のあのでこぼこな印圧を自分の手のうちで出してみたかった。

そこで、活版印刷局凹凸舎の大沼さんにご相談。
なんと直接指導を受けながら、大沼センセイの「手きん」(小型の活版印刷機)で刷らせて頂けることに!ヤッター。

しかしさすがに、文字や図案を自力で組む「組版」までやるには難易度高すぎるので、
データから製版屋さんに金属版を起こしてもらい、
その金属版をザックリ組んだ組版に貼付けて1枚1枚刷ることに。
初心者向きの工程でまずは初の「自力刷り」に挑戦。
さて、結果はいかに。


2010.02.22 Monday
迷走



3月22日から、青山のスパイラルマーケットさんの入口にて、
展示をさせていただくことになっています。
クラフト作家の井上陽子さん、大分で活動されているデザイナーの岡崎真悟さんとご一緒の3組展。

紙片」という名の、紙がテーマの展示と販売なので、
もちろん紙まみれのオリジナルプロダクトも引っさげてゆきますが、
何かこのテーマだからこそできる新しいものも作りたいなと考えており、
もっぱら試作試作の日々。
もう1ヶ月切っている訳で、試作ばかりもしていられないんですが。
本番作品つくれよ、というハナシですが。
日々は相変わらず水のように流れていくばかりで、
気持ちだけが焦ってます。ひー。

しかし、普段の仕事の軸が「ビジョンや目的を具体化すること」、
もしくは「コミュニケーションツールづくり」であるのに対して、
「ものをつくる」「人に見せる」だけがぽーんと来ると、
いまだにわからないことが多い。
作品と製品の違いはなんなのか、デザインとアートの違いってなんなのか、
どっちが今の時代の自分や他人にとって必要なのか。
どっちもいらないのか。
作風って必要なのか。作風ってそもそもなんだ信用できるのかそんなもの、などなど。
すべてが謎に包まれていきます。

あいまいなもの、普段見なくて済んでいる何か、、、を捕まえる作業とは、
頭がおかしくなりそうな行為です。
考えすぎて、不自由な作品まみれになりそうなことに、1番怯えております。
というわけで、まだまだ迷走中。
スタートラインに立てる日が来ることを願いつつ、
まずは自分の手を信じてつくっていこうと思います。






2010.01.09 Saturday
試作中


紙の道具を作ったことも影響しているのか、
今年もどしどし紙にお世話になりそうな予感です。ぐふふ。
書籍が何冊か、街歩きmapの制作、ラッピングツールづくりのお仕事など。
ウェブなどのデジタルツールも、
作り手からしたら手と頭とを動かしてつくる媒体ということに変わりはないけれど、
もともと本が紙が好きで好きで、触っているだけでうっとりという性分の2人ゆえ、
紙の仕事は正直、どんな仕事よりも楽しい。
紙の中に、五感をゆさぶられるような素材やメッセージを、
入れていきたいなあと思ってます。

さて、ご依頼あってのお仕事とは別に、
春に予定している展示に向けての作品づくりの試作もちらほらやってます。
平面だからこそできる印刷物もたのしいけれど、立体もおもしろい。
図画工作の世界です。
久しぶりに展開図とか書いてます。コンパスとか三角定規とか使って。
大人になってから、図形や算数を全く違うスタンスで学ぶことになるとは!
完全に思考が理系で、構造や論理にも強い旦那さんと違って、
学生時代のわたしは数学を全くと言っていいほど好きになれませんでしたが、
数学の教科書の中に出てくる数式や図、数理模型は、
綺麗なグラフィックだな〜と思って眺めていた(だけだったおかげで、頭には1こも入っていないのだった、、、)ことなんかを思い出したり。
サンカクとかシカクとか数字って、綺麗だなあ、と思う。
さて、何かに、そんな普遍的な美しさを活かせないものだろうか。

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