2013.03.11 Monday
ゼロ地点より。



「あの日」から、2年。
甚大な被害に遭われ命を落とした方たちへ黙祷と祈りを捧げながら、
いろいろなことを想う1日。
別に今日に限ったことではなく、この2年の間、
ふとした時に気持ちはあの日に戻って、ずっと考え続けてきた気がします。
あの日から何が変わったんだろうか、そして何が変わっていないんだろうか、と。

強制終了ボタンを一方的に押されたような、
破壊的、超然的な力で世界が一変した事実に対し、
でも世界や環境が刻々と大きく変わっているのに、
はじめて皆が気づき明らかになった発見もたくさんあるのに、
ニンゲンだけはなんだか変わらず愚かなままで
(復興活動に対してではなく主に原発やエネルギー問題、情報隠蔽、政治に関して)、
全然代わり映えしない。なんで?そろそろ止めないか?このルーティン。
と思うし、立場や環境の違いから来る意識の差もますます広がっている気もする。
それに対して、じゃあ何ができるのかと問い続けているけれど、
結局、考え続けることをやめないことと、
自分たちが手にしている光とあたらしい智恵を大事に大事にして、
現実を諦めないでやっていくくらいしか、ない。
きれいごとのようだけれど、ほんとうにそれしかない、と思う。
暗いことや置き去りにされていることが山ほどあって、
取り返しのつかないことも今だ続行している。
だからこそ、なかったことにしないで、
でこぼこ立ち直って行く姿を世界中にさらしていく、
というのがこの国に住み続けながらできることのひとつじゃないだろうか。
この2年、自分たちだけのことを言えば、
実はというべきか、みんなそんなものなのかなとも思うが、
デザイナーという職業意識が一旦崩壊した。
おもしろいくらい、こっぱみじんになった。
非常時にデザイナーなんて役に立たない、仕事ってなんだろう、と本当に思った。
何も出来なさすぎて、吐きそうな日々。
今思うとそんな風に苦い気持ちを溜め込む暇があったら
もっと大変な人たちのために内容問わず働いとけよ!と恥ずかしく思うのだが、
皆が避難したり、被災者を助けたり、復興を願ってボランティアや募金をしたり、
できることを手探りでがんがん試していっている状況下で、
自分たちが自らの仕事や技術で、誰かの役に立てる気がしなかった。
臨月近い妊婦で、お腹の子どものことを守るので精一杯だった、というだけではない。
ずいぶん長いこと、あたまが真っ白になってフリ―ズしていたのだ。
非常時にデザインというもの、自分たちが良きものとして糧にし続けてきた技術を
即座に役立てられないもどかしさ、瞬発力の無さが情けなかった。
誰に対してか判らないけれど、とにかく申し訳ない、と罪悪感を持ち続けていた。
今まで、たいして何もできないのに何かが出来る、
誰かの役に立てる、と思って生きてきたのだなというか、
傲慢だったのだなあ、というのにも気づかされた。
それまたショックで、いろいろな考えや指針が一旦ゼロになった。

おかげでゼロ地点から頭と気持ちを建て直すだけで、
この2年が経ってしまった。
それでも、一度ゼロになったのは(自分にとってはだけど)良かったように思う。
これでやっていくのだ、これしかないのだ、という土台の気持ちが、
この仕事をはじめた時よりだいぶ大きい。
勢いや若さから来るパワーで走ろうとするのをやめて、
来た道をもう一回てくてくたどって、大事な落とし物を見つけたような気持ち。
デザインの力を信じようと思っている。
どんな手を使ってでも、メッセージを届ける。
そのためにこつこつとツールを作ろう。
そんな意欲がむくむくと湧いています。
これを枯らさないようににしなくては。

頭が真っ白になっていた時期にも、
デザインという道具を必要だと言ってくれた人がいた。
うれしかった。だから、なんとかこの仕事を続けようと思えた。
世界も自分の頭も一旦崩壊したけど、残るものがあってよかった。
誰かの声とか気持ちは、何もない時こそ本当に強い力を持つ。
それをうまく、そして美しく楽しく伝えることができたら。
そう思い至ったことは、自分達が3.11から時間をかけて得た大きな収穫だった。
その収穫を今後もっと、還元していかなくてはと思う。
伝えるべきことは死ぬほどある。
死ぬまで伝え続けることが、自分達の本当の仕事だと、今ははっきり言える。
つくって、つくって、つくりまくって、
バトンをどんどん渡して行かなくては!